2017年08月01日
元信託銀行・株式ファンドマネージャーから No.14
<狩猟民族と農耕民族>
私たちは「狩猟民族と農耕民族」という言葉を色んな場面で使っていると思います。人類の進化の過程で、「狩猟、採集」により食料を得るために移動していた時代から、「農耕、家畜化」により、食料を蓄えることができるようになり、定住が可能になったという使い方が最も一般的だと思います。
万里の長城は、農耕に根差した漢民族が、食料や土地を奪う匈奴(トルコ系騎馬民族:走る馬から、矢を放ち、機動的な攻撃が可能な非定住系民族。流鏑馬の文化が残っている日本の武士も騎馬民族的攻撃スタイル)の侵入を防ぐために、王朝を跨いで築かれました。
また、太平洋戦争後の高度成長期に、銀行は「農耕民族」の文化で、証券会社は「狩猟民族」の文化だと言われました。当時の銀行は、経営コンサルの役目も担いながら、預金と融資の金利間の鞘取りを行い、また融資先企業の資金繰りを支えていたので「農耕的」であり、一方で、証券会社は現代のようなネット証券会社がなく、売買手数料も自由化されておらず、有価証券の売買手数料が主たる収益源だったため「狩猟的」であると例えられていました。
現代は、銀行の経営コンサル機能は低下し、銀行の店頭で「投資信託」の売買もできるようになった一方、証券会社は、有価証券の売買手数料が自由化され、収益源の多様化を追求する必要性から、預かり資産を増やす方向に変化しました。銀行と証券の壁が低くなったため、日本においても、金融持株会社が解禁され、金融グループ内に、銀行と証券を取り込んだ経営が行われるようになりました。
なお、米国で大恐慌後に作られ、1990年代後半のクリントン政権下で撤廃されたグラス・スティーガル法(商業銀行と証券会社の機能を明確に分離した法律)の復活をトランプ政権下で行う動きは、消え去った模様です。
私が最も「狩猟民族」的と思う活動は、資源の豊富な地域や地政学的に重要な地域等に、対立軸である(ファシズム対反ファシズム、共産主義対資本主義といった)イデオロギー、宗教等の違いを理由に、紛争を起こし、現状の構築物、インフラ、民族等を粉々に破壊した後、新たな枠組み、構築物、インフラ等を建設し、経済の再生、発展の果実を享受することだと思っています。
これこそが、大航海時代以降に生まれた近代資本主義の本質であり、このメカニズムが変化しない限り、資本主義の最大の主役である株式会社の持ち分である株式、もしくは投資信託を資産に組み入れるべきであると主張する最大の根拠なのです。
(平成29年7月)
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