元信託銀行・株式ファンドマネージャーから No.19 <コロナ禍に驚かされたこと>
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元信託銀行・株式ファンドマネージャーから No.19 <コロナ禍に驚かされたこと>

 

元信託銀行・株式ファンドマネージャーから No.19


<コロナ禍に驚かされたこと>

 

 筆者は、西日本の内陸工業地域で生まれ、育ち、中学生までは地域の公立の学校に通っていました。

 当時、その地域は日教組の影響力が強く、小学校では、途中から制服が詰襟からジャケット(ラペルがない変わったデザイン)に変わり、ランドセルから黄色の肩掛けカバンに変わり、学校で君が代(国歌という教育を受けた記憶がありません)は歌われず、道徳の時間は同和教育のみでした。テレビや新聞で報道されていることは、本当のことだと信じ切っていました。

 何の疑問も持たず、今でいうリベラル思想に洗脳されていました。

 

  中学3年生の時、公民で公務員には団体交渉権がないと教わりました。

 ある日の一時間目が自習となり、どうやら先生達がスト権スト(ストライキ権奪還ストライキ)をやっているという話を耳にした筆者は、ホームルームの時間に、公務員がストライキすることは認められていないにも関わらず、何故ストライキをしていたのか?と先生に質問しました。先生はまともに答えられませんでした。

 幼い時から、好奇心旺盛ながら、空気を読まない性格だった筆者は、周りの皆が分かっていても口にしない(できない)ことを平気で言っていました。

 

 伝統的な日本の美徳、つまり相手の気持ちを推し量り、言いたいことも敢えて言わず、察してもらうという高度なコミュニーケーション能力が筆者の中に欠けていたわけです。生来の気質にリベラルな教育が加わって、リベラルな先生(本当は先生も先生のコミュニティに従わざるを得なかっただけではなかったかと今ではわかるようになりましたが)をやり込めたという何とも皮肉な展開となりました。

 

 そんな筆者も、50歳を過ぎ、花鳥風月に親しみ、日本の文化の良さを再認識できるようになりました。考え方も保守的なスタンスに変わりました。またインターネットやSNSの発達により、既存メディアのリベラルな報道スタンスは、戦後GHQが仕組み、現在まで続いていることもわかるようになりました。

 

 保守的な見方に変わった筆者ですが、一連のコロナ騒動には驚かされています。

 コロナウィルス発生から時間が経ち、その正体もわかりはじめ、感染症第2類相当としたまま、分類を引き下げないことが病床逼迫の最大の要因であること、イベルメクチン等の治療薬が世界に存在していることを知っていながら、政府、医師会がリスクを取ろうとせず、テレビなどの既存メディアの大部分が、ただ不安を煽っているだけであることには、もちろん驚いています。

 

 しかし、それよりも驚いているのは、国民が自主的にマスクを装着し、自主的にお互いを監視しているような空気感を醸し出し、公道や電車の中の振舞い等、自主的に秩序正しくなっていて、コロナ対策の便利グッズが開発・販売されている等のことです。政府の指示がダメでも、国民一人一人が働く現場が自律的に動いており、急に共同体意識が高まったように感じました。

 子供の頃、大東亜戦争中の竹槍の稽古やバケツリレーを行っていたことを聞き、非科学的な話と小馬鹿にし、時代は変化し、そのようなことは二度と起こらないと思っていましたが、目の前で同じような光景が起こっていると感じています。DNAには記憶があるという説は、もしかしたら本当なのかもしれません。

 

 ただ、投資の世界においては、同調圧力に屈せず、自分で判断することが求められます。いいことだらけに見える日本人気質にも注意しなければならない部分が存在するようです。

 

(令和3年9月)

 

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